里山づくり

里山づくり計画図

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下野の国、佐野市多田町――――――2005年に佐野市、田沼町、葛生町が合併して、新生した佐野市誕生後の行政呼称。

実際、田沼支所、葛生支所、いずれの区域に属するかの選択も迫られる、狭間のなにげない地です。

古来より下野の国は「食(ケ)の地」として、京、政権、幕府に守護されながら、食の生産に勤しんで来た土地柄。時代時代の戦乱争乱にもさほど荒らされず、穏やかな実りの歴史を刻んできた大地のようです。

しかし、ここ多田の里は、江戸から続き特に大正時代から大きく栄えた葛生の石灰砕岩セメント、ドロマイト鉱業隆盛の中で、人々の多くはその職を葛生に求め、里の土地や山を顧みる事少なく、名水を発していた菊澤の山や森林も、いつの間にか痩せ衰えて来たようです。

この里の歴史と風土の流れに合わせるように、この数十年の歳月は、古い歴史と由緒ある鎮守、賀茂別雷神社と菊澤の杜をも、衰弱するにまかせていたきらいがあり、結果多田の里は、存在感の薄い、明日への活力エネルギーを発しない里になってしまったようです。

そんな折り、やむにやまれぬ事情から熟慮の結果「この上なく真摯な決意」で神主の業を成すべく、還暦を越えた身心に鞭打って立ち上がった賀茂別雷神社の宮司、毛利昭一郎氏を激励、応援しようとする仲間たちが集まりました。

この一年あまり、多田菊澤の地、わけいかづちの杜に七回も八回も触れ、遊び、探索し、清掃整備に挑んで、共にこの里を、この杜を、この社を、再生復興、活性化していけるプランを考え、討議研究を重ねました。

それは、この多田菊澤の里わけいかづちの杜を、自然美豊かな里山として、鎮守として、さらに、心のふるさとを求め来訪参拝する多くの人々の「癒しと活力供給の杜」として、再生活性化を図るものです。

この地、多田の町方や氏子衆が起源・土台となって、夢を共有しようとする人々が協力・参画者となって、未来へ、時代へ、「百年の時をつむぐ」、活動プランなのです。

その行動姿勢は「自力」と「楽しさ」が基本。2010年は賀茂別雷神社の遷座100年祭が行われます。私たちはまずはそのタイミングに照準を合わせた3カ年行動プランを、スタートさせようとしています。

湧気倶楽部

多田菊澤山 里山鎮守の杜 再生・活性実行委員会

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