当神社の由緒

神社入り口

当神社の御祭神は「賀茂別雷の神」と申します。京都の上賀茂の地に「ちはやぶる わけつち山に宮居して、天下ること神代よりさき」と読まれ、遠い昔より、山の神、農業の神として奉られて、落雷除け、嵐除け、五穀成就、天下泰平の神として崇敬されてまいりました。

当神社は天智八年(669)、「雷の神を祀れば、此の土地は富貴安静ならむ」との神宣により、菊沢山の中腹に社殿を建て、大神を奉り祭事を行ってまいりました。

本殿写真

その広大なる御神徳により正徳五年(1715)、宗源宣旨により正一位の神階を賜りました。

現在の本殿は宝暦十一年(1761)の建築で、堂の彫刻は上州館林の住人斉藤甚平、甚八、両人の作で、竹林の七賢人、菊の花、竜など、めでたい物がたくさんございます。

その後、氏子の念願により、明治四十三年現地に遷座し、家内安全、落雷除け、交通安全などの祈願を行い、毎年4月15日には大祭を斎行して、元文四年(1739)新造の御輿の氏子内巡幸を行っておりました。

神棚祭、氏神祭、地鎮祭、上棟祭、車のお祓いなども致しております。

境内神社について

神社入り口の写真

産泰神社(拝殿左隣)
ご婦人の守護神として古い昔から信仰厚く、妊婦多数の念願により文化十二年(1815)社殿を建て大神を奉斎いたしました。
安産、子育ての神として崇敬され、安産祈願、家内繁栄、子孫長久など、祈願の信仰者がたくさん参拝されており、その御神徳は広大無辺でございます。
命名や選名のご相談も承っております。
八坂神社(拝殿手前左、道具小屋隣の石宮)
厄除けの神として須佐之男命を奉斎し、毎年7月15日に御輿の巡幸をして、祭事を行っております。
浅間神社(拝殿右側のサヤの内、右端の石宮)
無病息災の神として木花咲耶姫命を奉斎し、毎年8月21日に火祭りを行い、祭事を行っております。
寒沢山神社(拝殿右側のサヤの内、左側の大きい石宮)
山の守護神として大山祇命を奉斎し、毎年11月第3日曜日に勤労感謝の祭事を行っております。
そのほか
稲荷神社、夕日森天満宮、機姫神社、秋葉神社、太守神社、愛宕神社、古峯神社など、数社奉られております。

賀茂別雷神社概要

2010年現在の境内図(図をクリックすると拡大します。印刷用PDFファイルはこちら

御鎮座地 栃木県佐野市多田町1501
代表 宮司 毛利昭一郎
通称 雷電様(らいでんさま)
旧社格 村社
神紋 三割の菊
例祭日 4月15日
主祭神 賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)
配神 禰禰杵尊(ににぎのみこと)
賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)
玉依姫命(たまよりひめのみこと)
境内神社 産泰神社(さんたい)、機姫神社(おりひめ)、八坂神社(やさか)、秋葉神社(あきば)、寒沢神社(さぶさわさん)、太守神社(たいしゅ)、浅間神社(せんげん)、夕日森天満宮(ゆうひもり天満宮)
境内地 11760坪
御神徳 厄除招福、縁結び、五穀豊穣、商売繁盛、延命長寿、福徳成就、直観力向上

2009年の境内図(クリックすると拡大します)

賀茂別雷神社 上賀茂神社(京都)

京都にある上賀茂神社の正式な名称は賀茂別雷神社といい、当神社の本社にあたります。

葵祭で広く知られており、由来は神代の昔、本社の北北西にある、秀峰神山に賀茂別雷大神が御降臨になり、天武天皇の御代に社殿が造営され今に至ります。

雷(いかづち)の御神威により、厄を祓いあらゆる災難を除き給う厄除(やくよけ)明神・落雷除・電気産業の守護神として広く信仰されています。

また、桓武天皇の御代に都が京都に遷されて以来、皇城鎮護の神、鬼門の守り神、総地主の神として崇められ、方除祈願が多く行われています。

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